東京地方裁判所 昭和45年(合わ)296号 判決 1970年10月22日
主文
被告人を懲役五年に処する。
理由
(罪となる事実)
被告人は、本籍地の中学校を卒業して同地において大工の見習をしていたが、昭和四二年上京し、同年一二月ころから東京都○区○○○丁目○○番一六号甲肉店に住込み店員として働いていたところ、昭和四三年五月東京地方裁判所において、強姦罪により懲役刑に処せられ、昭和四五年六月仮釈放により前橋刑務所を出所した後も引き続いて前記甲肉店の店員となり、勤務終了後は東京都○○区○○にある同店の支店の二階に起居していたものである。
ところが、被告人は、
第一 昭和四五年七月七日夜東京都内巣鴨および駒込の飲食店数軒で飲酒し、翌八日早朝前記甲肉店支店に戻つたうえ、同日午前七時頃出勤しようとして表へ出たところ、同支店の向い側にある東京都○○区○○○丁目○番七号乙ビルの三階に住んでいるA子(当時二〇年)が、夫の出勤を見送るため夫と二人で連れ立つて駅の方へ歩いて行くのを目撃した。被告人は、同女が時おり前記甲肉店の支店に買物に来ていたことから、同女に対して平素から関心を抱いていたが、酒気を帯びて情欲が高まつていたうえに二人の仲睦まじい様子をねたむ気持も加わつたため、同女の居室に忍び込んで同女を強いて姦淫しようという気を起した。
そこで被告人は、同日午前七時二〇分ころ右A子が駅から戻り居室に入つたことを見届けてから、前記乙ビルの屋上に上つて同所から三階の同女台所前のベランダに飛び降り、同所の台所の窓を押しあけて、右窓から同女の居室に侵入した。同女は、まだ早朝のこととて、居室に戻つてから、スリップ姿でベッドで横たわつて新聞を読んでいたが、被告人が突然窓から侵入してきたたみ驚きの余りベッドの上を後ずさりするだけであつた。被告人は、このように気も動転している同女に対し、「二人でいちやいちやしやがつて。ぶつとばしてやりたい。やらせろ。」と言つて迫り、同女におおいかぶさつていつたところ、同女が難をのがれるため、ベッドの横の窓を開けて大声で助けを求めたので、急いで、窓を閉めるとともに、同女をベッド上に引き戻して押さえつけ、「さわぐと殺すぞ。」とおどしながら同女の首を絞めつけるなどしてその反抗を抑圧し、同女の着衣を全部脱がせたうえ同女を強いて姦淫した。しかも、被告人は、その後も同女を抱きしめて離さず、前記の暴行、脅迫によつて畏怖のあまり抵抗できなくなつている同女を同日午前一一時頃までの間に再び姦淫し、右の姦淫行為の際、同女に対し全治一〇日間を要する左乳房部吸引性皮下出血の傷害を負わせたものである。
第二 <略>
(証拠の標目)<略>
(当事者の主張に対する判断)
検察官は、被害者が救いを求めて逃げ出した際、右下肢前面中央部と左足関節部に線状療過傷を負つたが、これも強姦の機会に生じた傷害であるから、強姦致傷罪にいう傷害であると主張し、他方、弁護人は、(一)被告人の所為は、強姦ではなく合意の上の情交である。仮に被害者の同意がなかつたとしても、被告人は被害者の態度から情交を承諾しているものと誤信したものであるから、被告人は無罪である。(二)被害者が負つた左乳房部吸引性皮下出血は、刑法上の傷害にあたらないとそれぞれ主張しているので、この点について順次判断を加える。
検察官の主張について。
判示第一の事実について掲げた各証拠によれば、検察官の指摘する各線状擦過傷は、判示二回目の姦淫行為が終了した約三〇分後に被告人が、被害者A子方奥の台所で同所にあつた包丁を同女の腕のあたりに当てた直後に、同女がスリップのまま救いを求めて同女方入ロドアから逃げ出し、階段をすべり落ちるような姿勢で階下に降りた際に生じた傷であることが認められる。ところで強姦致傷罪における傷害は、かならずしも姦淫行為自体、またはその手段である暴行、脅迫行為によつて生じたもののみに限らず、姦淫行為の際に用いられた暴行、脅迫を原因として生じた場合をも含むと解すべきである。けれども、本件における前記傷害は、被告人の二回目の姦淫行為が終了してから約三〇分を経過し、被告人がさらに姦淫行為に及ぶ気配がなくなつた段階で生じたものと認められるから、強姦行為完了後の傷害であつて、強姦の際の暴行、脅迫によつて生じたものとは認められない。そればかりでなく、前認定の被害者の受傷の経過からすれば、被告人が包丁を被害者の腕のあたりに当てた行為は、右傷害を生じさせた暴行、脅迫と見ることも困難であるから、被害者の受傷を、被告人の加えた傷害と考えることはできない。従つて、この傷害をとらえて被告人に強姦致傷罪が成立するとするわけにはいかない。
弁護人の主張について。
(一)前掲の各証拠によれば、被告人が判示のとおり、暴行、脅迫によつてA子を強いて姦淫した事実が充分認定できる。ただ右A子の抵抗が比較的強くなかつたように見られる点もあるが、これは被告人の突然の出現により、同女が気も動転して抵抗する余裕がなかつたためと思われる。従つて、同女の承諾があつたものと考える余地は少しもない。また、被告人において同女が承諾しているものと誤信したとの主張についても、判示認定の事実に徴して到底これを認めることができない。従つて、弁護人の主張は採用できない。
(二)本件の左乳房部の皮下出血は、前掲の各証拠によれば被告人が本件姦淫行為の際被害者の左乳房部に接吻した結果生じたいわゆるキスマークといわれるもので、被告人が本件姦淫行為の際、自己の性欲を満足させるために被害者に加えた暴行によつて生じさせたものであり、強姦致傷罪の傷害にあたることは当然である。弁護人は、右損傷は、その程度からみて、人の健康状態を不良に変更したとはいえないから、刑法上の傷害にあたらないと主張する。けれども、右皮下出血は、二箇所に生じており、その大きさは2.2センチ×0.2センチおよび2.2センチ×1.2センチであつて、赤色状の外観を呈し、いずれも一見していわゆるキスマークと分る形状を呈しており、しかもその部位は、左乳房部の上半部であるため女性である被害者の身体の美観を著しくそこなうものであることが認められる。また、それはその部位を強く吸引した結果、表皮下の毛細血管が破壊されることによつて生じたもので、生理的変化を伴なつたものと認められる。さらに右の皮下出血は特段の治療こそ必要としなかつたものの、その跡が消えるまでには約一〇日間を要したため、被害者は、その間夫に気付かれないように非常に気を使つたということである。以上のとおり、被告人の加えた右の損傷は、被害者の身体の一部に明らかな生理的変化を加えたものであり、被害者が著しい精神的苦痛を感ずる程度に身体の外観を変更し、身体の完全性を害したものであるから、これを刑法上の傷害従つて強姦致傷罪における傷害と認めるのが相当である。
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為中、住居侵入の点は、刑法第一三〇条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、強姦致傷の点は、刑法第一八一条、第一七七条前段に、判示第二の(一)および(二)の各所為はいずれも刑法第二三五条に該当するところ、判示第一の住居侵入と強姦致傷との間には、手段結果の関係があるので同法第五四条第一項後段、第一〇条により一罪として重い強姦致傷罪の刑に従い、所定刑中有期懲役刑を選択し、以上の各罪は、同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文、第一〇条により最も重い判示第一の強致姦傷罪の刑に同法第一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役五年に処し、訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により被告人に負担させないこととする。
(量刑の事情)
被告人は、強姦罪による前刑について仮釈放になつてから、まだ一か月しか経過していないうちに、同種の本件を犯したものであるうえに、特に判示第一の強姦致傷については、犯行の態様は大胆かつ執拗であり、犯行後において改悛の情は全く見られない。しかし他方、本件は酒気を帯びたうえでの犯行であり、強姦致傷の傷害の程度は比較的軽微であること等諸般の情状を考慮して、主文の刑を相当と考える。
それで、主文のとおり判決する。(浦辺衛 小松充 田口祐三)